9月11日から13日まで、八代に帰ってきた。
7月28日に震度6強だった、わたしの故郷だ。地震から1か月半たっていた。
前の記事「忘れないうちに記録|故郷・八代が震度6強だった日」で、いちばん怖いのは「変わってしまった八代の景色を、自分の目で見ること」と書いた。
結論から言うと、やっぱり胸が痛くなった。
高速道路は通れた?
通れた。
八代に近づいてくると対面通行になって、少し混み出した。でも、渋滞まではしなかった。
反対車線は渋滞していた。夕方だったので、作業から帰る人たち、自衛隊の方々が帰る時間と重なっていたみたいだ。
高速道路は、あちこちでまだ工事をしていた。
街の中に、突然崩れた家が現れる
街中を走っていると、崩れた家、潰れた家が突然現れる。
そのたびに、胸が痛くなった。
新幹線は、線路の上で、地震のときのままの位置でまだ止まっていた。
八代駅前も通った。
街には、応援に来た人たちがたくさんいた
泊まったホテルには、作業員の人がたくさん泊まっていた。
あちこちから、警察も応援に来ている。
ほかの県の名前が入ったビブスを着た人たちが、あちこち歩いていた。
八代神社は、門の屋根が崩れ落ちていた
12日の朝、八代神社に行った。
八代宮も、建物が崩れていた
12日の夕方は、八代宮へ。前の記事で「どうなっているんだろう」と書いた場所だ。
近くの八代城跡では、石垣がお堀に崩れ落ちていた。
植柳橋は、一部が川に落ちていた
13日の朝は、球磨川にかかる植柳橋を見た。
水は出るようになった?
出るようになっていた。
しかし、友達の家の地下水は、まだ濁ったままのようだ。
母のいる施設は、水は来ているのに、貯水タンクが故障していて貯められない。直すのに費用も時間もかかるそうだ。
とりあえずタンクの半分は貯められるので、そこにお水を入れてもらっているらしい。
買い物はできる?
大型ショッピングセンターは、ほぼ閉まっていた。
服や生活雑貨を買うところもない。
ちょっと ぶらぶらしてこようか…というところもない。
実家は、少し傾いているように思う
実家も、まわりにひびが入っていた。
全体に少し傾いているように思う。
次にまた大きい揺れが来たら耐えれるのか…心配
会った人たちに、地震のときの話を聞いた
妹、甥っ子、施設の方々、宅配を出しに行ったヤマト方。
会った人たちに、地震のとき何をしていたかを聞いた。
みんな、それぞれいつものように生活してた。
そこに急にあんな大きい地震が来たら、今、何が起こってるのか??
とても怖かったよね。
余震はあった?
わたしがいる間は、一度も揺れなかった。
それでも、お風呂に入っているときはドキドキして、すぐ出た。
名古屋に戻った次の日、八代で震度3の地震があった。
まだまだ、元の生活に戻るにはほど遠い。


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